昭和の終わりごろ、経済学専攻のS先生と知り合い、親しくさせていただいたことがある。
俊英の若手研究者で、将来を嘱望されていたひとである。
ある日、家で本を読んでいると、母親が階下から大声で、
「よしあき!たいへんだよ」という。
何事かと降りてゆくと、大きな段ボールにタケノコが丁寧に包装されて送られてきたのである。
これが、京都の有名なタケノコの朝堀りで、きわめて希少高価なものであり、わが家なんぞでは、めったに手に入らない代物である。
宛名をみると、まさに俊英S先生からのプレゼントである。
母親はむじゃきに喜んでいる。
さぁ、どうして食べようか? 料理はああして、こうして、姉や兄のところにもおすそ分けをして・・・などと言っている。
わたしは、ただひたすら、「えぇぇっとぉぉぉ・・・まずお礼状を書くとして・・
ことばは、『新緑の候』・・・いやいや『緑も深まり』・・・『本日は貴重なものをいただき』・・・
うぅぅぅん・・・えっと、お返しは何がいいかなぁ・・・
つぎにS先生に会うのは1週間あとだから、それまでに・・・]
と考えていた。
このあと、母親は目の色を変えてすぐ、タケノコの灰汁ぬきに奔走しはじめた。
何とも対照的、『考える輩と行動する輩』とが二分されるわが家の5月終わりでした。
S先生ほんとうにありがとうございました。
わがために筍を掘るかたじけな(山口青頓)