天正3年(1575年)5月21日(新暦6月29日)は、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼が戦った『長篠・設楽ケ原の戦い』がくりひろげられた、と言われている。
大学院の講義も回を重ね、忙しさまっさかりの5月末である。
友人たちと話しがはずんだ。
A「おい、今日は長篠の合戦があったっていう日だろ」
B「うん?あれは今日かぁ」
C「ああ、武田勝頼が騎馬戦法で戦ったのに、信長・家康連合軍が鉄砲の三段打ちで撃破したってやつだろぅ」
B「そうそう、小説やドラマではそういうことになってるよな」
A「え、そうじゃないのか?」
B「ドラマなんかじゃぁ、馬防柵を組んで3000丁の鉄砲を三段構えにして、順番に打ったってことになってるじゃないか。だけど歴史検証すると、信長が集めた鉄砲って1000丁余りだってさ」
C「1000丁でもかなりなもんだぜ」
B「まあなぁ・・・だけど広い野っぱらで1000丁くらいの鉄砲じゃあ、三段構えの形はとれないって言われてるよ」
A「じゃあ、なんで武田軍は負たんだろぅ?」
B「うん、鉄砲の音に馬が驚いてあばれたり、鉄砲玉が馬に当って武将が落馬した、騎乗の武将に玉が当たって大けがをした・・・っていうことで、敵地まで近づけずに戦力が消耗して負けたってことだろう」
A「『戦力しょうもう』かぁ・・・なんか悲しいなぁ・・・・」
B・C「ああ・・・・・・・講義で疲れた今の俺たちみたい・・・」
城門やいくさもなくて草の花(正岡子規)