大学院に入ったころ、ある先輩になにかの折に、
「『桜切るばか、梅切らぬばか』
っていうことわざがあるんだよ」と教えてもらったことがある。
調べてみると、桜の場合、枝の切り口から菌が入りやすく腐りやすいためむやみに剪定してはならず、一方梅は無駄な枝を切ってやらないと樹形が崩れてしまい、よい花や実がつかなくなってしまうからだそうである。
それから、数年経って、ある先輩にこの話をすると、
そのひとは、
「うん、植物学的にはそうだろうなぁ」
私「え、ちがう解釈があるんですか?」
「知らないのか?いいかぁ、文学的には、桜を切るというのは花見で酒によっぱらって桜の枝を切ったり折ったりするようなバカが優雅さを壊すというたとえの反面、梅の方は、小枝を切って茶会などの花飾りとする優雅さを愛でるっていう面があるのさ」
私「はあ・・・?」
「あのな、小倉百人一首のなかの『花盗人(はなぬすびと)』って話しを知ってるか?あれはな、
『われが名は花ぬすびととたゝばたて唯ひと枝は折りてかえらむ』
(前大納言公任卿集 帥の宮)
って歌って、桜の枝を折って帰るという無粋なことをするわけさ。
そうするとな、主人の藤原公任が
『山里のぬしに知らせで折る人は 花をも名をも惜しまざりけり』って、
なじる、のが典型なのさ」
私「なるほどぉ。梅の方はどうなんですか?」
「梅の枝はな、万葉の歌でも梅の枝に恋歌を添えて送るとか、源平合戦のころなら、
梶原景時が箙(えびら)に矢とともに、梅一枝を差して戦いに挑んだっていうような優雅なはなしとつながるのさ」
私「なるほどぉ・・・・・」
わたしには、完全な教養講座でした・・・・
何ごとも皆昔とぞなりにける花に涙を注ぐ今日かも(良寛)