norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

    ♬ はるの うららの すみだがわ 

               のぼり下りの ふなびとが

      かいの しずくも 花とちる 

                ながめを 何に たとぉべき ♪

                      (花:竹島羽衣作詞・滝廉太郎作曲)

 

 わたしが通っていた高校は、地方都市の住宅街にあった。

最寄り駅から歩いて、およそ15分で正門前にたどり着く。

 

春はその通学路がさくら花で片トンネルの道となる。

なぜ片トンネルかというと、疎水があってその疎水沿いに桜の木が何十本と植えられ、その桜のそばに3メートルほどの舗装された歩道があるからである。

 

 私は、春のこのさくら道を歩くのが好きであった。

なにやら、学校へゆきながら、花見をしている気分になるのである。

 

わが高校は戦前までは女学校で、戦後に共学となったので、学校のまわりのふんいきも、やさしいやわらかな感じが残っていたのであろうと想像している。

さくら道はその象徴であるかのように思えた。

 

 3月のなかばになると、つぼみがふくらみ始めて、遠くから見ると、茶色のえだにうす桃色のつぼみが、ぽつん、ぽつん、とついてゆくのであるが、これが学年末テストの最中となる。

 

 試験が終わって、春休みの真っ最中に、学校へ用があってゆくと、まさに満開・・・・・

 

「げに一刻も千金の 眺めを何に たとぉべき・・・・・・」

                      と歩きながら感激していると、

級友のUとばったり出会って、

 

「おおぉ、のりもぉ・・・お前も今日の追試で、学校にきたのかぁ?」との声。

ぎゃふん・・・・・・

 

         いつの日か少年の夢さくら咲く(小泉貞鳳)