植えて見し 花のあるじも なき宿に 知らず顔にて 来いるうぐいす
大学で自称詩人のMが、ポソっと言いだした。
A「なんだよそれ?」
M「知らないのか?光源氏が亡くなった紫の上を懐かしんで、うたった和歌だよ」
B「意味は?」
M「ええっと、梅を植えた紫の上がもういないのに、それを知らずにウグイスが来て鳴いているよ、ってことだな」
A「なんで梅って分かるのさ?」
M「あのな、梅の木にやってくるのは、ウグイスにきまってるのさ。それに、源氏物語の中では、紫の上は、梅や桜を植えているという記述があるんだよ。春盛りで咲きほこるのは梅でなきゃあわないだろ。状況を考えろよ」
B「そういうけどさ、桜だって植えてんだろ?それなら桜かもしれないじゃないか」
M「それはない!桜にはウグイスは来ない。それに紫の上が亡くなった悲しさを表現しているときに、あでやかな桜じゃ、話が合わないだろ。そりゃ梅にきまってるじゃないか」
B「わかったよ。まあ、万葉の時代からウグイスは春告鳥っていうぐらいで、梅と併せてとりあつかわれているもんなぁ。文学的にはお前の言う通りだな」
A「だけど、Mさぁ。ほんとうは梅にはウグイスは来ないんだぜ」
M「え、ほんとうか?」
A「ああ、高校のときに、理科か地理かで聞いたことがあるよ。梅の木によくいるのはメジロで、メジロのいる地域ではよく見られるんだってさ。梅にウグイスはどちらもめでたいもので、『二つそろうといいなぁ』っていう願望が大きいんだってさ」
M「・・・・・・・」