norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

五つ子

 昭和51年1月にテレビ各局で、鹿児島で5つ子が生まれたという、

明るいビッグニュースが流れた。

 

家で母親とテレビニュースをみていたときのはなし。

母「えらいねぇ、ひとりでも大変なのにぃ・・・」

私「そうなのか?」

 

母「そらそうよ。考えて見なさい。子供を育てるっていうのは、大変なのよ。あんたみたいなわがままに育ったら困るでしょうが」

何いってんだよぅ・・・・(心のなかで)

 

母「ウチでも子供3人でしょ。みんな別々に生まれて育ってきたから、なんとかなったけど」

私「ああ・・・」

 

母「ウチは一番上が女で育てやすかったけど、男よりちょっと費用がかさむのよ。二番目はおとこだから、どこで病気になったり、けがをするかわからない。三番目はワガママ気ママのこれだもんね」

と、わたしを指さす。

 

もおぉぉぉ・・・・・

 

      還暦の今も末っ子墓洗ふ(白石多重子)