われわれの青春時代、正月休みは、近所の店屋は開かず、営業しているのは電車と神社仏閣の回りのみであり、繁華街の一部の大きな百貨店すら、4日が初売りである。
つまり、初詣に出かけて、露天などで商品を買うことはできるが、その他の食べ物などは5日くらいにならないと、手に入らないのである。
さらに、劇場や映画館と繁華街の喫茶店などは開いているには開いているが、正月料金と称して、普段のおよそ3倍もすることがざらであった。
いわば、みんなが『お休み』なのである。
こうなると、当然、外へ出ようという意欲がわかない。
家に居さえすれば、雑煮やおせちで、食べるには困らないからである。
昭和50年、昼の食事を済ませて部屋のこたつでテレビ観戦をしたのが、全日本大学ラグビー選手権の準決勝戦であった。
準決勝であるから、2試合が行われる。
このとき、わたしが大阪の大学生であることもあって、当然、同志社を応援した。
さらに、この大学にはわたしが高校時代の級友が進学しており、事情があってラグビー部をやめてはいたが、やはり親近感があるのは同志社であった。
試合がはじまると・・・・くやしいけれど、体格・体力・技術等々が一枚も二枚も上手で、明治が怒涛の攻撃をしてくる・・・・
やがて、終了のホイッスルが鳴ると、85対7で明治大学の完勝であった。
ああ・・・・・・だめかぁ・・・・・また来年、がんばれ関西!!!