11月のある日、入団発表の記者会見が始まる。
空白の1日といわれるドラフトの抜け穴を利用してジャイアンツに入団しようとしたが、果たせなかったあとの出来事である。
そのため、主役の選手は世間からの不評を買っていた。
「まぁ、落ち着いて。興奮しないでやりましょう・・・」
この一言がさらに、反感に火をつけた。
氏は高校卒業のときから、プロ野球の新人選択のための制度、ドラフトで1位指名を受けて、昭和53年時点で3回目の1位指名となり、阪神に形の上だけの入団をした。
その投手としての才能はズバ抜けたものであったが・・・。
まさに、悪役。
ベニスの商人でいえば、シャイロック、忠臣蔵でいえば吉良上野介であろう。
しかし、当時23~24歳の青年には少し過酷な配役であった。
このとき、ドラフト制度の欠陥が指摘され、憲法24条の職業選択の自由に反するのではないかという非難が、法学の雑誌などで騒がしく取り上げられることになった。
悪役もひとしく薫る菊人形(墓田まさこ)