昭和48年に「刑事コロンボ」がテレビで放映され始めた。
主演はピーターフォークである。さえないコートをいつも羽織っていて、これで事件が解決するのかという体でストーリーが進行する。
おどろいたのは、事件物のドラマであるにもかかわらず、最初から、犯人が分かっているという筋立てである。
犯人が最後になって分かるという推理小説の手法になじんでいるわれわれにとっては衝撃であった。
B「おい、刑事コロンボはさ、最初から犯人がわかってるじゃないか?あれって、どういうことだろう?あんなことしたら、ドラマとしては最悪じゃないか」
A「いや、あれがアメリカ方式だろ。それに、刑事コロンボは、劇場用の作品だったんだよ」
B「うん?劇場用だと何かちがうのか?」
A「ああ、コロンボは初めは、脇役でさ。主演は犯人の方でその心理描写を劇場で展開するものだったらしいのさ。ところが、段々とコロンボに人気が出て、そのコロンボが犯人を追い詰めてゆくというストーリー展開が劇として演じられていたんだよ」
B「うん、うん、だけどそれじゃあ派手な展開にならないじゃないか」
A「そりゃそうだよ。だけど、お前のように単純なアクションのおもしろさを追求するんじゃなくてさ、劇場でしかできない心理描写で犯人を追い詰めていく展開が、劇としての価値を高めたんだよ。こどもの見るような演劇、たとえば、ピーターパンじゃないんだから」
B「くそぉ、おまえそれ、俺をこどもだって言ってんだろ?」
A「あれ、わかった?」
月の人舞台化粧のそのままで(辻桃子)