夏は怪談話しが盛んである。
この時期の蒸し暑い夜を過ごすために、むかしから、娯楽のひとつとして、怪談が語られ、わたしが大学生のころでも、番町皿屋敷、四谷怪談、耳なし芳一、牡丹燈籠、などのさまざまな怪談話がテレビなどで映画仕立てとなって、放映されていた。
たいていは悪い男とこれにだまされた女がその恨みを晴らすために、ゆうれいとなって男に復讐をするという「おどろおどろしい」筋立てで、
最後には
「げにもおそろしき執念じゃなぁ!」
というセリフなどで幕を閉じるのである。
夏合宿内で幽霊ばなしが話題となった。
このとき、落語では幽霊ばなしは、わらいばなしに変わることも話のひとつである。
たとえば、「皿屋敷」では怪談ばなしとはちがって、ゆうれいのお菊さんが井戸から出てくるのが話題となり、連日、見物客があつまるという設定になっている。
ここでもう、すでに、背筋がゾォーとする氷の世界というより、みんなでワイワイというお祭り騒ぎの世界に変わっていて、対比のおもしろさとしてのオチ話になっているのである。
さらに、さいごの〆が歌舞伎などの「きりっ」としたものではなく、お菊のかぞえる皿数が9枚ではなく3倍を数え
「わたしゃ明日から盆休みなんだよ」
といって、休み分の皿数を先読みするという形で、ばかばかしさを強調する。
みんなで、ははは、そりゃ、ひとを楽しませるという点では、落語の方が合理的だわ、ということで落ち着いた。
たわいない、夕食後の「ばかばなし」であった。
落語きく友もまた身をねぢてをる(喜谷六花)