norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

高知旅行

 わたしの高校・大学を通しての夏の大きなイベントは旅行であった。

高校2年生のとき、はじめて四国を親友Tとふたりで観光旅行に出かけた。

高校生であるから、お金はない。

二人でアルバイトをして、今思いだすと、おのおの5万円ほどの収入があったはずである。

 

 さて、ふたりして、交通手段、経路、宿泊先、何をするかなどの相談を重ねる。

これは、じつに楽しい。

T「ルートの初めは、大阪港から夜行船に乗って、甲浦3時到着、高知港早朝着にしようぜ。なるべく、安くあげて高知へゆくことがベストだよ」

私「よし、そうしよう。それでさ、宿泊はユースホステルを使おうぜ。ユースを使うには会員加入の手続きが必要だから、明日、なんばの宿泊手続きにゆこうや」

などなど、ふたりでわいわい言いながら予定を組んでいった。

 

 旅行当日、夜10時頃に旅客船に乗りこむ。

太平洋に出るまでは船はさほど揺れなかった。

夜11時を過ぎたあたりから、太平洋に出ると、船内の様子が変わった。

横揺れ、縦揺れ、すさまじい動きで、二等船室にいられなくなった。

特に私は船酔いがひどくなり、

Tに

「ちょっと、甲板にでてくる」というと、

「いまからかぁ?だめだよ、寝てしまおう」

「いや、だめだよ、これほど船酔いがひどいと、ここじゃぁ、ねむれないわ」

そのあと、口喧嘩となった。

 

 腹の立ったわたしは、だまって、荷物を持って船室を出て甲板で寝ることにした。

揺れてはいるが、甲板上は涼しく、毛布を借り受けて適当なところで転がっていると、Tも黙ってあらわれて、横で眠っていた。

強いが、心地よいかぜに吹かれているうちに眠ってしまった。

 

 朝、高知についたが、わたしはわだかまりがあり、Tとはひとことも口をきかずに過ごす。

 はりまや橋に着いたのは、午後3時ぐらいで、そのときTが

「おい、のりも、わるかったよ。仲直りしようぜ」

といってきたので、わがままなわたしも、ほっとして

「うん」と応えたのである。 

Tの方がおとなであった。

 

    日焼けして二等船室雑魚寝組(高澤良一)