司馬遼太郎の小説「国盗り物語」に出てくる松波庄九郎は、油売りである。
油を売るというのは、しごとをさぼるという意味でつかわれる。
この物語は近世のはなしであり、このなかで出てくる「油を売る」ということばの由来として、油は量り売りで買主のつぼに油を垂らして売っているのだが、その油は粘着しているのですべての油が尺から落ち切るのに時間がかかり、その間、油売りは待っていなければならず時間がかかって、買主の者とその間、長話をして商売をするので、しごとがのろのろとしていて、さぼっているようにみえるというのである。
日本語には、そのほかに、なまけるという表現に「のらをかわく」ということばがある。
これはあまり知られていない。江戸時代の浄瑠璃や滑稽本などにみられる用語で「のら」というのは「のらのら」と怠惰なことを指し、「かわく」というのは「なにか悪いことをする」という意味であるそうだ。
われわれが、むしろよく使うのは、「さぼる」という用語が最も身近であろう。
この語源はフランス語のサボタージュ(sabotage)から来ているが、これは仕事だけにかぎらず、破壊活動や妨害行為、労働争議中の労働機械の破壊などを含むものであるらしい。
日本では大正時代に使われだしたようで、まさに時代により用語のあらわれが異なる。
しかし、人間のすることは同じであっても、「なまける」という行為について、それぞれの時代に異なることばが使われ、残ってゆくのは何か意味があるのかもしれない。
しかしまあ、どのことばであっても、なにか『ぼわぁん』とした、夏のだるさと同じ語感があると思うのは、わたしだけであろうか?
油照り雲を仰がぬ歩を曳きて(石川桂郎)