norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

大阪城での水都祭

 わたしが、こどものころ、大阪の8月は水都祭(すいとさい)という花火の打ち上げで幕を開けた。

はなやかなものであった。おやじが兄とわたしを連れて、大阪城の広場までつれていってくれたのを覚えている。

 

 大阪城のバックに     

    しゅううぅぅぅ~ しゅううぅぅぅ~ しゅうぅぅぅ~

と細長いしろい光があがったかとおもうと、そのあとすぐ

    どぉおおん どおおぉん どおおおぉん 

    ぱんぱん ぱんぱん ぱちぱち どおおぉん

と音がしたかと思うと、

    あか あお しろ のおおきな花が開くのである。

 

 まわりが、ぱっと 明るくなると やがて うすぐらくなり

おなじ音と 光の競演のくりかえしであった。

大阪城が闇のなかで、花火のひかりのなかで浮かび上がってみえる。

 

 大学生になって、水都祭というのが、戦後すぐに大阪の復活をねがって、大阪豊里大橋付近で打ち上げられたのがはじまりであると知った。

 

 開催場所は淀川であり、年によって時期がずれたりしたのであるが、大阪の一大イベントとなったようである。

やがて、この水都祭は7月25日の天神祭りでお祭りの一環として受け継がれている。

わたしが子供のころは、たしか8月5日に打ち上げられていたんだがなぁ・・・・

 

 われわれには、はなやかなモニュメントであった。

このとき、大阪城でかき氷を食べて、はしゃいでいたことを覚えている。

興奮して、なかなか眠れなかったなぁ・・・・。

 

   せめぎ合う火の輪となりし花火かな(久保田万太郎