シェイクスピアは法学者ではないか?
あるいは、法学を学んだひとではないか?ということが言われる。
それは、ヴェニスの商人などの作品の内容がその理由となっている。
このはなしは、アントニオがユダヤ商人シャイロックからお金を借り、そのときに、期日までに返せないときには自分のからだの肉1ポンドを差し出すという約束をするのである。
アントニオは貿易商であり、不幸にも自身の財産である船が航海で沈没したため、破産し、約束の返済ができなくなった。
シャイロックが裁判に勝ち、その裁判の結果によって、いままさにナイフでアントニオのからだを切り刻もうとしたとき、裁判官に扮したアントニオの恋人ポーシャが、
「肉を切り取ってもよいが、契約書にない血を一滴でも流せば、契約違反として、全財産を没収する」というひとことで、シャイロックが敗れるというクライマックスシーンをむかえるのである。
これによって、『勧善懲悪』、演劇ならば、たとえば平幹二郎などがアントニオとなって、美しい装飾舞台のなかで終焉する。そう考えながら、みんなと話していると、
悪友がこれにちゃちゃを入れるのである。
「なにいってんだよ。いいかぁ。舞台は16世紀のヨーロッパだろう、そこでは、宗教的戒律で利息を取ることは禁止されているが、シャイロックは利息を取って生活する金貸しなわけさ。法の世界では契約の優位性と・・・・・」
もぉぉ、うるさい!!
法理論じゃなくて、おれは、今、文学演劇をたのしんでんだよ!!
夏真昼回り舞台の静止せる(柿本多映)