昭和49年に超能力ブームが起こった。これは、ユリゲラーというアメリカ人がテレビ番組で、念でスプーンを折り曲げたり、念を送り、その念を受けた側が壊れた時計を持っていると時計が動き出すという、いわばオカルト現象をおこしたのである。
これが、全国的な超能力ブームを生んだ。
大学でも、悪友たちとこのことで、話しが弾んだ。
K「あのスプーン曲げ、どう思う?」
S「自然科学的に考えて、不可能だよ」
F「うん、ありえないね」
S「ああ。体のいい手品だろ。柄の部分の方の手でそれとなくまげてるんだろうさ」
大学生だけあって、さすがに、超能力などということを信じるものはだれもいなかった。
ここで、話しが変わって、前年から大ブームになっている小説「日本沈没」が、次の話題となっていった。
K「ところで、それなら、あの小松左京の日本沈没だって同じようなものじゃないのか?」
S「なんで?」
K「だってさ。ありえないことを、あたかもあるように見せて、ひとに不安を与えたりするというのはおなじだろぅ」
S「だけど、ありえないことを、あるように書くのはFS小説の手法だろう?別にわるいことないじゃないか」
K「だけど、それなら、スプーン曲げだって同じだろ。それ自体は手品ですって居直ればわるいことじゃないもんな」
結局、本人たちの受け取り方ということか。なにかしら、末世の末法思想が蔓延しているかのような年であった。
手品師の五指さみどりの驟雨かな(伊藤 翠)