昭和51年6月に、異種格闘の初めとなるモハメッドアリとアントニオ猪木の戦いが東京武道館で開催された。
アリは当時、ボクシングヘビー級チャンピオンで世界一つよい男といわれていた。
その男が日本にやってくるのである。しかも、プロレスという種目のちがう格闘家と戦うために。日本中騒然となった。ルールはボクシングルールを基本とした15回ラウンド制1回3分、1分休憩の試合であった。これには、われわれはおどろいたものである。
A「おい、アリが猪木と戦うだろう。どっちが勝つと思う?」
B「そりゃ、アリだろう。ルールがボクシングだもん。猪木がいくら強いったって、ボクシングはしろうとじゃないか」
A「だけど、猪木はボクシングをして戦うわけじゃないぜ。
おまえさぁ、けんかになったときにルールなんて考えてるか?」
B「え、どういうこと」
A「つまり、いくらあらかじめこれをやっちゃいけませんと、約束していても、いざ、殴り合いになったらルールなんかなくなるだろぅ」
B「だけど、そのためにレフリーがいるんだろ」
A「そりゃそうだけど、たとえば、瞬時に猪木のルール違反の技が決まったり、違反パンチが当たったときに、それで勝負がつくことだってあるじゃないか。そうしたら、ゲームとしては反則負けだけど、実質的には猪木の勝ちだろぅ?
だから、格闘技での実力伯仲者の勝負は、時の運だとおもうぞ」
この勝負、猪木がリングに寝たままキックの嵐をふるって、アリもパンチが出せず、結果は二人が約束のルールを守って、引き分となった。
当時、猪木にたいして、ファンや新聞は非難ごうごうであった。後年、この試合はその「勝負の真剣さ」を評して、名勝負といわれている。
いろいろな意味で、こんな試合、二度とないであろう。
直立の姿崩さず白菖蒲(右城墓石)