ある昼下がり、文学好きの友人とはなしていた。
A「雨ばっかりだよなあ。まったく」
B「ああ、つまらないなぁ」
B「ところでさぁ、あの『枕草子』で清少納言が梅雨時のたのしさを書いてるの知ってるか?」
A「あの、春はあけぼの・・・っていうやつか?」
B「ああ」
A「そりゃないだろ。あの清少納言は、俺の印象からすると、そうとう気のつよい女性で、明るい、『からっ』としたことがらは好きだけど、梅雨のような『じめじめ』したイメージを良く言わないだろう?」
B「原文はこうさ。『五月ばかりに山里にありく。草葉も水もいと青く・・・・人などの歩むに走りあがりたり いとをかし』ってね」。
A「ほらみろよ。緑の青々とした山里に、自分は牛車に乗って、輿のなかから楽々と、雨のなかを緑を突き切ってすすんでるから、楽しいんだよ。彼女の性格そのものじゃないか。車ぶっとばして、たのしいなぁっていうのと同じさ。それは、梅雨のしっとり感をたのしむのとはちがうぜ」
B「うぅん・・・、そういわれるとなぁ・・・」
考えてみれば、わびさびは室町からで、清少納言には、ないものだよねぇ。
五月雨が詫びよ寂びよと降りをれり(相生垣瓜人)