ある日、教授が、
「法律解釈問題には、恋愛、情、小説、夢、心理という文学的ことがらは、ほぼ関係がない」と断言された。
だんだん、つまらない学問だなあと思っていたころであるから、わたしとしては、
「何をいまさら・・・・」というあきらめの気持ちでいた。
ところが、「刑法の判例」という資料を読んでいると、高瀬舟を例に挙げて解説しているではないか。
あの森歐外作品の高瀬舟である。
わたしは、中学生のとき、文庫本で「高瀬舟」を読んだおぼえがあるので、小説のストーリーを思いだしながら、わくわくしていた。
自殺をすることに失敗した弟を楽にしたいがために、かみそりをひき抜いた兄喜助が、けっきょく、弟をころしたことになり、流罪舟で高瀬川から島流しされるという、歐外の傑作である。
たとえば、殺人罪を解説するときに、殺人と殺人幇助罪を区別するばあい、あるいは、安楽死を説明するばあいに、この小説が使われる。しかし残念なことに、このものがたりは、入り口説明で用いられるだけであった。
昭和37年12月22日名古屋高裁判決(山内事件)では、安楽死の法的要件が詳しく判断されたという有名な判決であるが、この判例解説にも高瀬舟が、解説のはじめに、むかしから、医学・文学・倫理学・法学での多角的な学問上の問題の一事例をしめすものであると、書かれているにすぎない。
いわば、落語にいう「まくら」として使われているのである。
わたしは、判例解説を読みながら、
「はい、教授のおっしゃるとおり、小説は法解釈の本編とは、まったく関係がありませんよね・・・」とつぶやいていた。
夏草や事なき村の裁判所(子規)