4年生の5月末に、われわれは、ゼミ旅行を決行した。まさに、決行である。
専門ゼミは3年の9月からはじまり、4年の8月末で終了する。1年間の勉強なかまにすぎないのだけれど、ほぼ、いっしょうのつきあいとなるであろうと予想ていたし、いままさにそうなっている。
6月になると、自分たちの進路決定のため就職活動を開始するのである。そのため、この5月までが純粋に大学生としての生活を謳歌しうる時期となり、その進路行動の決意を固め、みんなで『ばかさわぎ』する最後ということで、ある意味、あそびにむけての必死の行動であり 、これが決行ということばで言い表されるのである。
こどもっぽいといえば、こどもっぽい。
このゼミ旅行には、当然、担当教授も含まれる。
われらが恩師は還暦を迎えておられた。
わたしを含む4名で幹事をして、賛成多数により、信州4泊5日の旅となった。
このとき、日程・費用の都合上、どうしても出発日の列車は、大阪発名古屋経由の夜行急行列車の旅、車中1泊とならざるをえなかった。わたしたちは困った。
というのも、還暦をこえる先生を同じ夜行急行列車にのせるわけにはいかないだろう、ということだった。
おそるおそる、同じ幹事役の、ヒシダと一緒に研究室に行って、先生に申し上げると、
「うん、別列車にしなくていいよ。いっしょにいくから」とあっけなく返答される。
そのあとも、ほかのゼミ生から
おい、幹事、だいじょうぶかよ。先生は新幹線などで、先に旅館へいってもらえば?という声もあがった。
当日の夜、われわれ幹事は交代で、先生の横にすわって目的地までむかった。そのとき、先生は一晩中直角の固い椅子にすわり、新聞に目をとおしたり、われわれと話をされたり、うとうとと眠っておられた。朝、目的駅についたとき、少し眠い目はしておられたが、『しゃきっ』とされて、
「ヒシダくん、おなかがすいたなぁ。朝食は?」との第一声。
みんなが、脱帽。つよい!その後も、われわれの動きに、一歩もひけをとらなかった。
戦争を乗り越えてきた、還暦勇者である。
老いたるも不死身の藤の芽吹くなり(阿波野 青畝)