昭和48年に江崎玲於奈博士がノーベル賞を受賞した。物理学賞としては、朝永振一郎博士に次いで日本では三人目の快挙である。
このとき、思い出したのは、5月に、日本人初のノーベル物理学賞受賞者、湯川秀樹博士の自叙伝を読んだことであった。わたしは、根っからの文系であるから、物理理論はまったく分からない。
湯川先生は、家が儒学者の家系であり、物心がつく前から、母方のおじいさんが湯川博士のお兄さんたちと一緒に、老子および荘子を素読させられたそうだ。その後、博士が研究の道に入られて、理論物理学を専攻して中間子理論を立てたとき、この理論の発想の起点の一端を担ったのが、この老荘の素読であると、いっておられたことである。
素人であるわたしは、老荘は漢文学であり、内容はある意味で哲学であるとおもっているから、いわば、人文科学であって、自然科学である物理学の最先端たる理論がどうむすびつくのか、まったく分からなかったし、当然、いまだに分からない。
どうすれば、老荘理論と物理理論が化学反応を起こして、新しいものが生まれるのだろうか?
このことを友人に話してみた。
友いわく、
「ばっかだなぁ、おまえ。それが分かるし、出来たからこそ、ノーベル賞学者なんだろぅ」
ごもっともです。
清く聞かん耳に香焼いて郭公 (芭蕉)