norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

交通ゼネスト

 昭和48年の春、大きな交通ストライキがあった。このときのストライキの規模は極めて大きく、午前中に国鉄交通がすべて止まるということになった。これは、大変なことである。公共交通機関がすべて止まるわけであるから、サラリーマンは大変である。会社が従業員のために、布団の用意をして、会社に宿泊できるように手配したり、都市のホテルを予約したり、早朝に送迎バスを手配する企業まであらわれたのである。これは、テレビや新聞で一大ニュースとなった。 

 

 われわれ学生は、申し訳ないが、この日、いちにち通学をがまんすればよいので、さしたる被害はない。むしろ、学校が思わぬ休校となるので、かえって、わくわくすることすらあった。

 

 しかし、高度経済成長の真っ最中で、サラリーマンは企業戦士と呼ばれて、猛烈に働くことが美徳とされた時代で、交通機関がストップするからといって、休むことは考えられなかった。

 

 このときの、サラリーマンなどの欲求不満は頂点といえた。たしかに、国鉄職員も労働者であり、ストをするのは仕方がないという考えもあったが、この年を頂点にして、数年の間、ずーっと長いストライキが続き、なぜ、国鉄ばっかりこんなストを起こして、社会を混乱させるのかという不満が徐々に高まってきていた。

 

 そのとき起こったのが、上尾事件という国鉄乗客の暴動事件であった。この事件をきっかけにして、国民の国鉄労働組合への批判が高まり、やがて、国鉄が解体されて分割民営化するきっかけのひとつとなったといわれた。

 

 われわれは、その後、大学の労働法での講義で、生きた労働法制に影響を与えた事件として取扱われたおぼえがある。

 ある意味、バイタリティーあふれる昭和の真っただ中であった。

 

    散れば咲き 散れば咲きして 百日紅さるすべり)  (加賀千代女)