昭和48年に、NHKで「国盗り物語」が大河ドラマとなった。わたしは、1年前のドラマ化発表以前に、文庫本でこのものがたりを読み終えていた。ドラマ化が発表されたとき、ある種のときめきを感じたのを忘れられない。
どういえばいいだろうか。自分がたまたま読んでいたテーマのものがテレビで映像化されるという、自分自身に先見性があったという、ちょっとした自慢、ドラマ化されれば、本で読んでいた時とどのようにイメージが重なるか、という楽しみ、テレビがこの作品をどのように表現するのか、ということであった。
特に気になったのは、原本での斎藤道三が、若いころの生きざまのなかに、しぶといが、確実な動きで、美濃一国をうばってゆくという状況を、どのように表現してゆくのだろうか、ということであった。
斎藤道三(わかいころは松波庄九郎であるとする)の京からの働きからはじまるのであろうと想像していた。
配役で、道三を平幹二郎が、信長を高橋秀樹が、演じるというものとなった。ふたりとも手堅い、花のある役者である。
しかし、わたしには、何かしっくりこない。本では、斎藤道三と織田信長は両雄の設定で描かれている。
ドラマでは、やはり、高橋秀樹に、より花があるのだろうか、結局は、織田信長が話題の中心として展開してゆくのであった。
うぅん....司馬遼太郎の原作イメージとはちがうんだけどなぁ・・・・・・
NHKでは、いわば「高橋信長」を『真っ赤な薔薇の花』のように表現しているようであった。
薔薇の花 今や終の近づきて 限りも知らず甘き香を吐く
(与謝野晶子)