norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

体育実技

 1年生、2年生のとき、大学でも体育の授業がある。いわば、文武両道を求めるからであろう。まあ、実技はからだを動かすだけなので、それほど、いやなものではなかった。ただし、困ったのは、高校とはちがい、学校までの登校時間が相当長くかかるため、1時限目が体育のときは、まさに地獄となる。

 

 朝のラッシュ時に電車に乗り、『ふうふう』いいながら大学に着く。これで相当の体力消耗があるのに、わが大学の体操着への着替え場所は、体育館であるため、大学構内のいちばん奥までゆかなければならない。この必要時間がおよそ、駅から15分。ダッシュしたとしても、まず、10分はかかる。ここでも、駅の通学生ラッシュと出くわそうものなら、15分はかくごしなければならない。朝の時間、この通学時間のための早起きは、相当の努力を要した。

 

 やっとたどり着いて、着替えを済ませると、授業開始まであと5分。それで、間に合ったじゃないか、と思われるだろうか?

 なんの、ここからも、問題が山積み。先生が出席をとるのが、実技場所たる運動場である。出席の点呼に遅れると、ここまでした努力がすべて水のアワ。あと、5分、またもや、運動場まで、ダッシュ! 

 

 大学には、運動場が3つある。ここで、集合運動場は、その日、その日によって、場所が異なる。近い運動場であれば、セーフ、5分以上かかる運動場であれば、アウトとなる。

 

 いつも、悪友と、もっとはやく電車に乗ればよかったぁ、とぐちっていた。ぎりぎりで運動場入り口に到着したとき、自分の名前が呼ばれて、走りながら、はい、はい、はい、と手を振りながら叫んでいた。

 

   白波の 寄そる浜辺に別れなば いともすべなみ 八度(やたび) 袖振る

                              (大舎人部祢麻呂)