norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

いすず ベレット

 大学生のとき、5月の連休というのは、体を持てあますことが多かった。大学の友人はこの間に帰省したり、関西在住の者は自分たちの高校時代などの友人と会っていることで、大学の講義が始まるまでは、いわば遊び相手がいないことになる。

 

 わたしも、ひさしぶりに、中学の同級生Yのところに話しに出かけた。この友人は小中学校が同じで、わたしとしては気が楽な、こころが通じる友人のひとりであった。

 彼の家の部屋で話していると、表でぶぉぉぉぉ....ドッドッドッドと低いが力強いエンジン音がする。

 しばらくして、門前で「Y、いるかぁ?」と呼ぶ声がする。Yの部屋は玄関のすぐ横にあるために、窓を開けて見てみると、これもまた、中学の同級生で、すでに社会人の伊沢君である。

 

「おう、ノリモもいるのか。ちょっと、出て来いよ。ドライブしようぜ」と誘ってくる。

二人で表に出てみると、その当時、評判の車、いすずベレット1800CCがエンジン音を響かせていた。

 

 「おおぉ、すごい。伊沢、買ったのか?」

「ああ、ローンだけどな。機械物はある程度動かしていないと、かえって傷むから。つきあえよ」という。

われわれは、いそいそと、この誘いに乗ったのである。

 

 楽しい1日であった。あちこち、車で連れていってもらい、ドライブインに入って、お茶を飲んだり、馬鹿話をしながら過ごした。

 

 帰り道で事件が起こった。道路が長い坂道で、スピードが出すぎたのである。しまった、と思ったときはもう遅く、後ろから、白バイが・・・・・。

 彼には、免許の減点と罰金の切符が切られていた。

 

 このあと、伊沢の消沈の様子はただならないものであった。Yとわたしは、

「ごめん。われわれも、スピードに気がつけばよかったのに・・・」

 彼はやさしい。

「いいよ。お前らのせいじゃない、気にすんな」といって、われわれを送り届けて、帰っていった。まさに、

 

  貧居士が梅を妻とは瘦我慢  (尾崎紅葉

 

 男が梅を妻として優雅な生活をするという故事があるそうで、そうした風雅なひとではないが、梅を妻として生活しているというのはやせがまんにすぎないという意味だそうな。

 伊沢君、貧居士などと称してごめん。だけど、このときの君は、やせがまんだろうが何だろうが、ダンディでかっこよかったよ。