norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

体育講義をする野武士

 大学には、一般教養という科目があって、専門の勉強をする前に知っておかなければならない、3分野の基本を勉強することが、われわれの時代には求められていた。それ以外に、外国語(英語とその他のヨーロッパ言語のどれか一つ)を勉強せねばならず、さらには、体育実技と体育理論とを履修勉強しなければならなかった。この体育理論の先生がおもしろく、当時の体育界の重鎮であったといわれている。相当、お歳を召しておられるが、矍鑠(かくしゃく)とした白髪頭の先生でいらっしゃった。当時すでに、70歳を超えているのではないかといわれていたのであるが、講義に際して、教室に入ってこられると、背筋をぴんと伸ばして、一息ついたあと、「おはようございます」とあいさつをなさる。明治のお生まれであろうことが想像できるのであるが、たまに知らん顔をしている学生を見つけると、

「こりゃ、あいさつせんか!」「今から、いっしょに勉強しようとするのに、失礼じゃろ」と叱られる。大きな声ではないが、よく通る声でしかられるもので、学生の方も、

「すみません」と素直に謝っている。なにやら、ピシッとして、そのあと、ほんわかした雰囲気で講義が進む。内容は、野外活動(たとえば、山登りやキャンプなど)における活動方法や手段とその安全性の確保など、実践的なはなしであったと記憶している 。

 忘れもしない学年末の最終講義で、先生が試験について、話されるときに、

「えぇ~、答案には必ず、山から帰るときには、『たばこの吸い殻は持って帰りましょう』と書くように。これを書いていない答案は合格しない。では、終わり」とおっしゃったことである。これを聞いた学生は学年末試験で、このワードを書いたのはまちがいないであろう。

 今思えば、講義に出ていたかどうかを、このことばで確認しておられたようである。

 

  夏草や 野武士が持てる 馬の数(大魯)

われわれ学生は、この馬であったような気がする。