あるとき、上級生たちが、議論しはじめた。
「『花ぬすびと』は罪ならず!」についてである。『花ぬすびと』は、俳句なら晩春の季語、狂言なら有名な演題だ。さすが先輩たち、優雅だなぁと、そばで聞いていると、
「それは文学または狂言のはなし。おまえ、法学部やろ!そこは分けなきゃならん」
と、犯罪となる、という先輩が口火を切る。
犯罪にならないという派いわく。「条件はたしかにある。桜の枝を折って持っていったり、花屋などの「商売物の花」を盗めば、そりゃ窃盗だよ。花屋の花は、金銭的価値ある財物だもんな。俺もそれは否定しない。しかし、他人の家の庭に、あまりにも鮮やかに咲いた、ちいさな花一輪を摘んだら、窃盗罪かい?専門的にいえば、違法性(処罰しなければいけないほどの、悪らつ性、とでもいうべきこと)がないだろう。それに、自分の観賞用に、家で栽培している花は財物なのか?財物というのは、それ相応の金銭的価値のあるものでなければならないのじゃないのか?財物でなければ、窃盗とはならないだろう?」
「ちがうね。財物というのは、ひとの所有物になりうるすべてをいうのであって、それがゴミであろうが、空気であろうが、管理できて形がありさえすれば物であり、財物となるはず。ということは、他人が栽培して育てた花は、一輪でも、財物だよ。売れる売れないは関係ない。それに、花一輪なら違法性がないというが、違法性がないから、処罰されないというのは、わがくにの刑法上の処罰をするかしないかの問題であって、窃盗罪になるか、ならないかというと、盗んだんだから、窃盗罪には当たるんだ。理論的には、花一輪でも、立派に窃盗罪が成立するはずだ。」
われわれは聞いていて、おもわず、「うわぁ、細かい」、とつぶやく。花を手折って持って帰るということ、そのものが、犯罪となるかならないかを、客観的に考える議論である。
「花ぬすびとは罪ならず」というのを、情でとらえようとするのは、芸術・文学の世界だということを、改めて思い知らされた。
入る学部を間違えたかなぁ・・・・。