大学での講義のはなしを、ひとつ。ある学年のとき、専門科目に、政治経済についての一般専門科目として、○○学という科目があった。
わたしは、この科目を履修したのであるが、第1回目の講義のときに、この教授は、
「わたしの講義は、春にさくらのはなびらがハラハラと散っているときに1度、冬の雪がチラチラと舞っているときに1度、あわせて2度この教室に来て、学年末の試験を受けてくれれば、合格することになっている。」とおっしゃった。
不心得者のわたしやその仲間は、しめたと思う反面、
「ほんまやろうか?」と、疑ったものである。ここでも、あとで先輩に聞いてみると、そうだという。
さて、この教授がそのような話をなぜされたのかを、今、考えてみる。
とにかく、この○○学というのは、抽象論で展開されてゆくので、学者にでもなろうとする者でなければ、面白くなくて、途中でやめてしまうこと。
さらに、イヤイヤ講義に来られると、先生としては講義がやりにくくてしかたがないこと。
しかし、単位を出すにつき、何らかの成績判断資料が学生から提出されないと、成績評価ができないから、学年末試験だけは受けるようにと、学生に指示していること。
この三つであろうか?
ただ、このときわたしが感じたのは、なんと優雅な表現であることか、いうものであった。
このフレーズのミソ、
『桜はらはら、雪がちらちら』、『散る、舞う』である。
当たり前の日本語ではあるが、法学という頭の固いひとたちの教科科目でありながら、これに似合わない(他の法学の先生ごめんなさい)、1年の季節の移ろいを感じさせる、きわめて文学的・情緒的な表現が、心に残る講義の開幕であった。