norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

名物講義?

 大学の授業をとくに講義というのはなぜだろうか?高校までの授業というのは、先生の側が教え授けるというものであって、学生の側全員が理解できるように教科書の内容を説明するのだそうである。ところが、講義というのは、講述するものであって、いわゆる、書物や学説の内容を教授が伝え、学生が自主的にまなぶことであるということらしい。

 このことを知らずに大学で授業を受けると、かなりのショックがある。先生は学生が質問をしないかぎり、勉強については、ほったらかしである。つぎに、受講者の多さである。一般教養(われわれの頃はそういっていたのだが)の必須法学科目ともなると、ゆうに登録者は300人を超える。大学のいちばん大きな教室を使っても、立ち見の受講生がでるのである。第1回目の講義のときはたいへん。講義の始まる前から、座席の確保をしなければならず、あちこちで、小競り合いがおきている。

「おい、そこにかばんを置かずにつめてくれよ」

「だめ、友だちの分をとってあるんだよ」などなど。

気の弱い学生は、入り口のところでたむろしている。うしろの方では、キャンプでつかうような携帯用のいすを持ってきて座っている者までいる。

 開始のチャイムが鳴り、少し遅れて教授が入ってくる。ざわざわしているなかで、マイクの準備をすませた先生が、胸を張り、

「おはようございます。」と一礼してあいさつされて、

「これから〇〇(科目の名)の第一回の講義をはじめます」とおっしゃる。

1年生にしてみれば、はじめての講義で、どのようなものとなるのかと緊張していると、

先生は、黒板にご自分の氏名を、縦書きされた後、

「ぼくの名前は、こう書く。およそ日本語は縦書きである」とはじまり、その氏の由来、および、名の筆順、この名が珍しい漢字であるため、読みと、他の類似漢字との多くのちがいを、詳細に説明される。これはのちの講義内容の伏線であって、法律というのは、自国の文化と密接に結びつき、国語の要素も強く、わがくにでは、横書きをする文化ではない、ということを暗示するものであったのであろう。およそ、3・40分こうしたはなしが続いた後、講義で使うことになる教科書と参考書などの話しをされて、

「では、本日はここまでとする」と、最後にも、直立のあと、一礼ののちに帰って行かれた。

 あとで、先輩にこのことを話すと、

「あれはな、名物講義。第1回目は大した話もないし、どこから湧いてくるのか、というくらい学生がおるから、出んでもええんや。」と。

うう・・・・ん。しかし、名前の由来・漢字説明はおもしろかったなぁ・・・・。何が名物なんやろう?と思ったものである。