norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

権利濫用 はじめての詳しい理屈

 大学で法律をはじめて勉強するとき、「権利と義務」について習った覚えがある。そのとき、法学や民法の授業で、よく取り扱われたのが、「宇奈月温泉事件」である。古い大審院判例で、温泉宿の亭主Aが温泉口から温泉を引っ張るために木管を設置したところ、一部、他人Bの土地にこの木管が通ってしまい、これを知ったCがBからこの土地を安くで買って、Aに俺の土地に勝手に木管を通すな、もし使いたいなら、その土地を、時価の数十倍の価格で買い取れといいだしたのである。所有権というのは、絶対権といわれ、なんぴとも、自分の所有物につき、他人から不当に侵害されることはないという原則論が説明される。この原則によれば、Aは木管を取り払うか、Cの言い値で土地を買い取ることになる。

 ここで、学生であるわれわれは、うん、そりゃそうだ、と納得する者はほとんどいない。え!Cって「やから」やないのか。そんなやつの主張が通るの?という疑問につき、Cが負ける理屈の解説がはじまるのである。

 権利の行使は、濫用(らんよう)してはならない(旧民法1条3項)、というのである。Cの木管をはずすか、土地を買い取れという権利の行使が濫用となるという理屈が滔々と語られる。ここからが、たいへん。聞いている側は、予習しておかないと、この理屈についてゆけない。権利の行使の濫用となる要件(一般的には条件といいかえてもよいかと思うが)が次から次へと手をかえ、品を変えて説明される。結局、CのAに対する請求は権利濫用となって、認められないというのが結論である。

 なぁんだ、やっぱり。結論は、ほんまに常識的やん。で終了する。そんなので理屈って必要なん?というのが、わたしのような出来の悪い学生の気持ちではあるのだが・・・・。

 このことを、あとで先輩にいうと、先輩いわく

「おまえのは感情論。やから=悪い、でAの勝ちという短絡的な決め方やねん。説明がないやろぅ。説明がなかったらひとは納得せえへん。われわれは、その説明のための理屈、その理屈を勉強しにきてるんやで」と、たしなめられた。

わたし(無言で)「すんません」。