norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧

4月のおわり

春過ぎて 夏来にけらし白妙の 衣干すてふ 天の香具山 (持統天皇) 大学1年のとき、新聞であったか、この歌の記事が載せられて、解説があった。今思うと、新聞の文化面での取り扱いであったのではなかろうか。百人一首でもよく聞いた和歌であり、もちろん、…

天皇誕生日の4月29日

われわれ昭和生まれは、4月はじめの祝日は、29日の天皇誕生日であった。ここから、いわゆるゴールデンウィークが始まるのである。 大学にはいって、はじめての連休、昨年は、入試のために勉強に明け暮れた(?)うらみを晴らすため、ここぞとばかりに、あ…

英語の試験

われわれの中学生の頃の先生というのは、強権的ですぐ手が出るという思いが、ぬぐえない。特に、昭和ひとけた以前生まれの先生というのは、自分たちが、そう育ってきたことがあるためか、学生がいたずらや、言うとおりにしないと、げんこつを食らわせたり、…

本1万冊以上読まないと、えらくなれないぞ!

自非読萬巻書 寧得為千秋人 (解読・万巻の書を読むに非らざるよりは、いずくんぞ千秋の人たるを得ん) (吉田松陰) 中学生時代というのは、わたしにとっては、暗黒時代である。本は大好きではあるが、国語の授業は大嫌いであった。中学2年生のとき、社会科…

ぜんざい公社

わたしが子供のときには、国の特殊法人としての三公社という営業組織があった。わたしと同世代以上の方がたは、実際をご存じであろう。しかし、硬直化しがちな組織で、今のように、企業は顧客サービスが大事という意識はない。 中学生になって、ひとりで電車…

体育講義をする野武士

大学には、一般教養という科目があって、専門の勉強をする前に知っておかなければならない、3分野の基本を勉強することが、われわれの時代には求められていた。それ以外に、外国語(英語とその他のヨーロッパ言語のどれか一つ)を勉強せねばならず、さらに…

月に遠くおぼゆる藤の色香か 与謝蕪村

大学でのサークル活動は、民法の勉強会ではじまってゆく。これを研究会と呼び、1年生が4・5人、そこに2・3年生がチューターという司会者、指導者になって、判例などの具体的な法律事件を討論してゆく形をとる。 始まるのが、たいてい夕方4時以降、議論が…

大学の生協食堂

われわれの大学には、生協食堂がおよそ3つあった。一番大きいのは、大学の中央部にある本部で、街中の小さなワンブロックほど、さらにいえば、むかしの百貨店の大食堂ほどの大きさがあった。およそ、開店11時ごろからぼつぼつと学生が集まり、昼時にでもな…

法律上の成年と山口百恵

民法をはじめて勉強すると、ひとは20歳で成人となり、親の同意がなくても、ひとりで売買契約などをすることができる、と習う(旧民法4条:現在は18歳)。この理由は、簡単には、自分でやることについての結果を自分で認識できて、その判断にもとづいて…

「伊勢物語 筒井筒」とはちがう、離婚法

伊勢物語の筒井筒は、男が幼なじみの女性とは違うひとのところへ通い始め、男のこころが離れてゆきそうなとき、女の本心を知って、こころが戻るという筋であり、ある意味、ハッピーエンドである。 ところが、大学に入って、サークルでの民法勉強会で、「有責…

良き法律家は、悪しき隣人である

法学部新入生になって、講義中にあちこちで聞くことばがあった。良き法律家は悪しき隣人である、と。このことわざは、古くはローマの昔から言い伝えられ、諸外国でいろいろ言い換えられて、現在まで受け継がれているそうである。 いろいろな面で法律家の杓子…

わが物と思えば軽ろし・・・

1年生が大学へゆくときは、大きなバッグに荷物がいっぱいということが多かった。 何がはいっていたであろうか。まず、体育実技があるときは(体育実技はわれわれのときは、必須科目であった)、体操着と運動靴、おしゃれな学生は着替えが入っている。 さらに…

花ふぶき

高校時代、三好達治の詩をおぼえた。教科書の最初のページに載っていたという記憶がある。 「あはれ花びらながれ をみなごに はなびらながれ をみなご しめやかに語らいあゆみ うららかの跫音 空にながれ・・・」 雑な言い方をすれば、これは絵画や詩の世界…

巨人、大鵬、たまご焼き

わたしの年代の男子は、小さいころから、巨人・大鵬・たまご焼きであった。とにかく、ヒーローがいいのである。王、長嶋という強打者、強い横綱の大鵬、ふわふわの厚焼きたまご、がたまらなく好きなのだ。 ところが、大学へ入ると、関西にいて巨人が好きだと…

高松塚古墳

われわれが大学に入るころ、高松塚古墳で壁画が発掘された。新聞に掲載された映像は衝撃的で、よくぞ、ここまで、色鮮やかなことよと。 あの衝撃は、わたしにとっては、デパートでカラーテレビをはじめてみたときの衝撃とほぼ同じであった。今のひとにわかる…

花どろぼうは、罪にならない?

あるとき、上級生たちが、議論しはじめた。 「『花ぬすびと』は罪ならず!」についてである。『花ぬすびと』は、俳句なら晩春の季語、狂言なら有名な演題だ。さすが先輩たち、優雅だなぁと、そばで聞いていると、 「それは文学または狂言のはなし。おまえ、…

年上の女(ひと)

春は恋の季節というが、当時のわれわれの大学でも、4月もおわりになるとあちこちで、カップルができていた。わたしのまわりでいえば、背が高く、寡黙で、ちょっと、ほりの深い顔をした先輩などは、年下の女子学生が、知らない間に彼の回りにやってきて、な…

すずめが不動産?

大学にはいって、法律を勉強し始めると、ちょっと生意気になるようだ。議論をするのがおもしろくなり、むやみやたらと理屈を言い始める。 民法の勉強を始めたころ、物という概念を学んだとき、物は動産と不動産に分かれ、不動産というのは、「土地およびその…

まんがと大学生

大学の頃、少年ジャンプが発刊された。われわれの世代は「1億総白痴化」という標語の典型であるといわれてきた。さらに、教養がない、本を読まないとして追い打ちをかけたのが、漫画ブームである。大学生にもなって、といわれながら、少年サンデー、少年マ…

大学のコンパ

春はコンパの季節である。コンパというのは、companyの略語で、仲間とか会合という本来的な意味から、仲間が親睦を深めるための飲み会のことをいう。大学に入ると、このコンパが多く開かれ、サークルでは新入生を歓迎するという名目で、コンパが開催される。…

桜はらはら、雪がちらちら

大学での講義のはなしを、ひとつ。ある学年のとき、専門科目に、政治経済についての一般専門科目として、○○学という科目があった。 わたしは、この科目を履修したのであるが、第1回目の講義のときに、この教授は、 「わたしの講義は、春にさくらのはなびらが…

名物講義?

大学の授業をとくに講義というのはなぜだろうか?高校までの授業というのは、先生の側が教え授けるというものであって、学生の側全員が理解できるように教科書の内容を説明するのだそうである。ところが、講義というのは、講述するものであって、いわゆる、…

名前を売ったら2万円

昭和53年の春、おもしろいことがあった。女優のYがテレビ番組のオークションで、売るものがないといって、自分の芸名を売ったのである。1円から始まって、結局2万200円で落札された。 え、名前って売れるの?とわれわれ学生の間で話題になった。 「なんか…

この4月から、昭和時代の、自分史日記をはじめました。とりとめもないことを言ってます。仲間に入れていただければ、さいわいです。 のりもよしあき

権利濫用 はじめての詳しい理屈

大学で法律をはじめて勉強するとき、「権利と義務」について習った覚えがある。そのとき、法学や民法の授業で、よく取り扱われたのが、「宇奈月温泉事件」である。古い大審院の判例で、温泉宿の亭主Aが温泉口から温泉を引っ張るために木管を設置したところ、…

きらっきらの同級生

高校を卒業して、2・3年たったある日。大学へゆくため、朝の満員電車に乗っていた。 ある駅に止まったとき、若いサラリーマンが電車に乗り込んでくると、 ドアのそばに立っているわたしをみて、 「おい、ノリモ、ひさしぶりやなぁ。元気か?」と声をかけて…

大学生のアルバイト事情

わたしが大学生であったのは、昭和40年代後半から、50年代までである。そのときに、あの悪名高き「オイルショック」が発生し、世の中が大きく狂う序章となった。 しかし、それまでは、高度経済成長の恩恵をうけて、金銭的・時間的には、のびのびとした学生…

ドイツ語かフランス語か?

われわれのころ大学では、英語のほかに、第二外国語を勉強しなければならなかった。この選択が極めて悩ましいのである。なんちゃって法学部生であるわたしや友人たちは、将来、第二外国語を使って生活をするということはないから、なるべく省エネ、すなわち…

新1年生の履修届

大学に入学して、はじめに困るのが履修届という作業であった。この作業は、これこれという科目を勉強したいので登録しますと、紙に書いて大学教務事務室にとどけることをいうのであり、期日までにこの書類を提出しないと、講義が受けられず、その科目がパス…

教科書販売

春のはなしをもうひとつ。大学の春は、教科書販売という一大行事がある。高校のときとちがい、大学には大学生協という組織があり、そこが大学生や教職員に対して、食堂経営をしたり、本や文具などの販売をしている。当然、大学生はこの生協の会員となって、…